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2-7、熊本の震災について

2-7、熊本の震災について

先日、熊本で大きな地震がありました。
被災者の方々にお見舞い申し上げます。

しかし、私は当事者ではないので、正直どれほど大変なことなのかが実感できません。

私は「うつ病」になりやすい「生育環境」からくる「病前性格」です。
人を信じることが難しくなってしまいました。
人の気持ちがわからなくなってるんだな、と改めて思いました。
疑うことしか知らないで育ってきたので。

「天理教」は救援物資などを素早く送ったり、教会を被災者に解放したり、とても協力的だそうですね。
とても素晴らしい「善意」です。

でも、ちょっと待ってください。
今の言葉、「天理教」を「政府」に置き換えると、「善意」が「当然」に変化するんじゃないですか?

「政府」は救援物資などを素早く送ったり、民間施設を被災者に解放したり、とても協力的だそうですね。
とても素晴らしい、しかし「当然」ですよね。

この違いって、一体何なんでしょうか?
僕が天理教を疑いすぎているだけでしょうか?
ひねくれて、考えすぎでしょうか?
なんだか「善意」という皮をかぶって「売名行為」を行っているような気がしてくるのです。

多分、すぐに答えは出ないと思います。
時がたち、震災が落ち着いた頃、天理教組織が本当の「善意」ある集団なのかが判明すると思います。
なぜなら、「心から人を助けたい」という「善意」があれば、今天理教が直近で取り組まなければいけない課題は天理教組織の抜本的改革のはずです。
本当の「善意」ある人間がいる組織なら、誰の目にも明らかなことです。

さて、熊本の震災へ対する天理教、及び他の宗教団体の行動は素晴らしいものでした。
その本質が「善意」なのか「売名行為」なのか、皆様にも少し考えていただきたいと思います。

もしも、万が一、無意識であったとしても、それが「善意」の皮をかぶった「売名行為」であったとするなら。
それは人々を恐怖に落とし入れる「災害」をも「布教の道具」にする、芯から悪どい宗教団体だと言えると思います。

皆様にも、この件について是非意見を聞かせていただきたいと思っています。
ご一考よろしくお願いいたします。


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自分の中の疑問を言葉にしたら、少しスッキリした。

スッキリしたら、我が子の顔が浮かんできた。
子供を助けたい。
心からそう思った。

でも、ちょっと待て。
俺は今、休職中で収入がゼロなんだぞ。

でも、熊本や被災地には恐怖に怯える子供たち、恐怖に怯える親を見る子供たちが沢山いる。

助けたい。
そう思った。

無理のない範囲で。
3,000円。
一番近くで使ってくれそうな熊本県庁の口座に振り込んだ。

無職の俺でも、外食や嗜好品の買い物を1~2回控えると3,000円くらいかなと思った。

生まれて初めての、”やらされている”「善意」ではなく、”本当の”「善意」が生まれた瞬間だったのかもしれない。

2-8、問題点のすり替え